環境としての色彩

今日は皆さんに色についてお話します。私たちは日頃、色をどう捉えているでしょうか。私たちはそれぞれ好きな色がありますし、「今日は何を着ようか」と考える時にも、「お天気がいいからこの色にしよう」「今日はこういう仕事があるからこの色はやめておこう」というように色を選びます。身につけるものと色とは密接に結びついています。

色とは何でしょう?
色はどこに存在するのでしょう?

今日は皆さんにいろいろな問いを投げかけます。皆さんがそれぞれ問いについて考え、そこから自然の色や子どもたちが着るもの、目にするもの、体験するものの色について考えてくださればと思います。

あなたの好きな色は?
では最初に、好きな色を一人ずつ言ってみてください。(一人ずつ順に答えていく)
--水色、きなり、青や紫、赤紫、青系、紫、紫、淡い色、薄紫、淡い暖色、モスグリーン、黄緑、黄色、ピンク、山吹色、明るいオレンジ、サーモンピンク、緑、赤、水色とモスグリーンの組み合わせ、ピンク、青、見るなら紅赤・着るならエンジ--

見たい色と着たい色は違いますか?
たとえば私は黄色を美しい色だと思いますが、ずっと見ていたいとは思わないし黄色い服も持っていません。見たい色と着たい色が真逆の場合もありますし、見ていたい色とその色に包まれたいというのが同じという人もいます。

では「好きな色は何ですか」と聞かれた時、自分のどの部分に問いかけましたか?……自分の気持ち、感情、まずは快・不快の部分に問いかけたのではないでしょうか。

色の観察から導き出されるもの
次は、前に置いたつい立てにかかっている緑色の布を見てください。1、2分間じっと見つめて色を受けとめて、心に浮かんだことを手もとの紙に書きとめてみてください。

その後、緑色の布に赤い紙を貼った場合、青い紙を貼った場合、淡いピンク色を貼った場合と、順々に同じことが繰り返されました。
ひと通りわると、参加者一人ひとりに思い浮かんだことを発表してもらいました。

以上のように皆さんが出してくださったことは、どれもそのまま正しいのですが、私が独断で3つに分けて書き出しました。

緑色の布」を見て思い浮かんだこと

中央
「オウム」(形容詞じゃないと思ったので)
暑い国
散歩
子ども(子どもの好きな色なので)
晴れた日の山
元気な男の子が走っている
森の中にいるよう
葉と葉がこすれあう音
清々しい・包まれたい
静か
鮮やか
快い
押しつけのない色
明るく楽しい
じっと見ていると茶色に見えた
山吹色が見えてきた

赤い紙を貼った緑色の布」を見て思い浮かんだこと

中央
子どもの布団の鼻血のしみ
昆虫の背中
ドラゴン(をろち)
目が痛い
どぎつい
ハイテンション
チカチカする
赤が浮かび上がる
向かってくる
生きている
茶色には見えなくなった
赤の周りが明るい緑色に見える
立体的

青い紙を貼った緑色の布」を見て思い浮かんだこと

中央
涼しい
山と池
紫陽花
静かで落ち着いた
不調和で布が困っている
青の位置・形が気になる
引っ込む・奥行き
黄緑色のポチポチ
緑色が白っぽく見える

淡いピンクの紙を貼った緑色の布」を見て思い浮かんだこと

中央
花びらが舞う 紙(白に見えた)の所が、何だろう?という感じ
白けた・シンプルな
見ていられない、つらい白に見えた
ピンクとは意外
安定している
気持ち悪い
布がとまどっている
黄緑のポツポツが濃い緑のポツポツに変わった
白がピンクに見えてきた
まわりが水色に見えてきた
穴が開いているよう

◆中央=「現在の感情」
まず中央に書いたのは、「感情」「快・不快」です。色のことを言っているようで、実は「色から感じた自分の在りよう」を言っているものです。これは100人いたら100通りの感じ方があって、皆それぞれ違うんですね。緑や赤が気持ち悪いと言う人もいれば、白ピンク色が気持ち悪い人もいます。感情は実に一人ひとり多様で、それについていくら話してもまとまるものではありません。
色以外のことを話し合う時、たとえば学校の運営について話をする時にも、感情から話しているといつまでも話はまとまらないでしょう。

◆左=「過去の体験」
 次に、感情の段階から次の段階へ―――自分の記憶の箱を開けて、受けとめたものを経験の中に捜し、見たものと自分の中にあるものを合わせて理解しようとする段階が、<過去>の体験として左側に書いたものです。
 <現在>の感情の部分は多様で、人と合うということは難しいけれど、<過去>の体験は人のそれと似ていたり、合致することがあります。「ああ、あの人も私と似た体験をしている」というように。

◆右=「未来へ向かうもの―共通した理解」
そしてさらに、現在の感情のふるいを通し、過去の体験を踏まえ、純粋に色を観察するところから導き出されるものが右側に書かれたもので、<未来>に向かう力を持っています。右側に書いたものは、誰が見てもそのように見える客観的な視点であり、共通の理解が持てるものなのです。
赤と緑は補色で、お互いを強く押し出し合い、強く打ち出す関係です。そして青は、緑にとけ込んでしまい、自分をなくしてしまいます。また、淡いピンク色(肉色)と緑の間では、お互いに何もせず協調し、静かです。モネの「睡蓮」の絵を御覧になったことがあると思いますが、「睡蓮」はこの淡いピンクと緑で描かれているのです。この色彩が人を落ち着かせ、ずっと静かに見ることができるようにしています。このように色の持つ質――本質――は、誰もが共通して感じられるものなのです。
色の観察は、自分自身を見つめること、そして人を知ることにもつながります。また、私たちは話し合いのプロセスにおいても「感情」の段階にとどまるのではなく物事の本質へ――認識――へと、つなげていくことが必要だと思います。

子どもたちの色彩の体験
子どもたちにどのように色を与えていくのかを考える時に、シュタイナー教育の場ではどのように捉えているのかをお話ししたいと思います。シュタイナー幼稚園では、水彩の時、赤・黄・青(シュトックマー社の水彩絵の具では、各2色ずつあります)の三原色をぬらした紙の上で重ね、偶発的な色の混じり合いから色彩を体験していきます。学園でも水彩の授業がありますが、ではなぜシュタイナー教育では油絵などではなく水彩なのだと思いますか?

シュタイナー学校では、水彩で「色」を、フォルメン線描では「形」を体験します。ぬらした紙の上を、描き手の意志とは別に色が広がり、混じり合う。子どもたちは、自由に動き変化する色の本質、光によって文字通り色とりどりに姿を変える色を体験するのです。フォルメン線描やエポックノートはクレヨンで描きますが、みつろうのクレヨンは透明感があって色を重ねて描くことができ、混合色を創り出すことができるのです。

私がシュタイナー幼児教育を学んだ頃には、小さな子どもたちの前ではタイトな服や黒い色は着ないように教えられました。男性でも、タイトなズボンではなくゆったりとしたひだのあるスモックなどを着るように。部屋のカーテンもドレープをたっぷりとったものにするようにと……。それは、ひだやドレープがあると、光が当たった時にそこに様々な色の陰影が現われるからです。小さな子どもたちの色の体験のために、そういうところまで考えられているのです。

色彩は、視覚のみならず、体感できるものです。真っ赤な部屋に入った時と、真っ青な部屋に入った時では、体がその違いを感じ取ります。目の見えない人も、真っ青な部屋に入ると、寒々しさを感じるといいます。そして、子どもたちは無意識にそうしたことを体験しているのです。だとすれば、子どもたちが遊ぶ部屋にふさわしい色、眠る部屋にふさわしい色は何かを、私たち大人は考えていく必要があるでしょう。

工芸専科 大嶋 まり <学園通信No.12より>
──2008年6月17日 新1年生保護者のための勉強会より


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