2014年6年生歴史旅行

 6年生は11月4日から7日まで、3泊4日で奈良へ歴史旅行に行った。今回は男の子11名、女の子16名、計27名に加え、昨年アメリカへ帰国した元クラスメイトの男の子が特別参加しての28名だ。そして担任の私、引率の先生2名が加わり総勢31名の旅となった。

 初日は朝6:50に八王子駅に集合して、新幹線に乗る為に、いざ新横浜へ。
 美しい富士山を眺めて、アッという間に京都駅に着く。京都駅では栄先生が我々を待っていてくれた。

 京都から奈良に入り、初日は法隆寺の見学だ。地元ガイドさんの説明を聞きながらグループは3つに分かれ、法隆寺の中を回る。
 その中の1グループでのお話から紹介しよう。聖徳太子の様々なエピソードを聞き、17条の憲法を毎日読み上げ、夢殿をノートに描いたりして今回の歴史旅行に臨んでいるわけだが、年号等を中心に学んできている一般の学校の子どもたちとはどうやら勝手が違うらしく、子どもたちの反応が違うことにガイドさんもうすうす感づいていったらしい。子ども受けにTVネタのジョークを言ってみるが、TVを見ていない子どもたちは何のことかわからずシーンと無反応。「君、何に感動した?」と、次々に子どもたちに訊ねていくが、頸を傾げて即答できない子どもたち。ガイドさんは説明の方向を少し変えてきて、「君たちに仏像の見方を教えてあげよう」と、仏像の顔を観察させてから、次に仏像の前でかがんで仏像の顔をもう一度見ることを指示したそうな。すると、「おぉ!」と子どもたちの声。先ほどとは違って今度は仏像の顔が微笑んで見えてくる。これは、仏像がもともと、下から見られることを想定して作られているためだそうだ。それ以来、子どもたちは行く先々で仏像があるとしゃがみ込み、仏像の顔を観察。すると、辺りを通る通行人の人はそれを見て、びっくりしていたそうだ。「この子たちは毎回、仏像にひれ伏して拝んでいる!なんと信仰深い子どもたちだ!
 と…。その他にも飛鳥時代と平安時代の仏像の見分け方を教わり、そのあとはどの仏像を見ても、どれが飛鳥時代のものでどれが平安時代のものかが直ぐに見分けられるようになったという。
 自分のグループでは、また子どもたちの感動する場所が違って、美しく高くそびえる五重塔が実は建築学的には1階建ての建物だということや、南大門から入って見える景色がちょっとしたトリックで遠近法的に見えない仕掛けがしてあること、「柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺」の「法隆寺」の部分が、実は最初「東大寺」だったこと、など色々面白いエピソードに耳を傾けていた。どのグループにも共通していたのは、約2時間強、重い荷物を持って歩いてもへたばらないのが凄い!とガイドさんたちが驚いていらしたことだ。
 さて、その後は宿に行く前に地元の銭湯へ。銭湯の前には水が入った無人の電話ボックス、その中を悠々と金魚が60匹泳いでいる不思議なオブジェ有り。これは全国的にも有名なものらしい。
 毎年ここの銭湯を訪れるが、いつも地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちが「僕たち何年生や?どこからきたんや?ほうか、神奈川県か。で、どこに泊まってるんや?明日はどこ行くん?ほうか東大寺か。なら、柱にある鼻の穴の中とおりや。幸せになるんやで。ほんまやで、嘘やないで」などと、親しげに語りかけてきてくれる。これは、銭湯だけでなくどの電車の中でもそうで、何度子どもたちが温かく話しかけられたことか。見知らぬ人を懐疑的にみる習慣がついてしまった都会ではとうに忘れられたことだ。日本の古都奈良は、古き建物が今も残っているだけではなく、このように私たち日本人が皆持っていたはずの人への気遣い、優しい心、そんな昔ながらの心も健在だった。

 銭湯の後は、バスに乗り宿泊先の矢田寺へ。紫陽花寺としても有名な矢田寺は小高い丘の上にあり、階段を上りつめた北僧坊が宿泊所となる。ここで楽しみなのはいつも用意してくれる美味しい食事だ。ある時はこちらの要望に応え、子どもたちに体験させるために精進料理を用意して下さる。当初は質素な精進料理をいただくことで、普段、子どもたちが意識することなく生き物の命をいただいているのだということに気付き、また何気なく食べているものが如何に贅沢で恵まれているものかを知ってもらうつもりで企画されたはずだった。ところが、出される精進料理の美しく豪華に美味しいこと!選ばれぬいた無農薬の野菜やお米、時間をかけて二重にも三重にも下ごしらえと味付けがなされた手間ひま厭わぬ食事は、作り手としての食べさせる側の智慧と愛情がひっそりと、しかし、しっかりと込められていて、何の説明もされていない子どもたちですら一度口にするとその美味しさに目を開けて驚き、声を出してしまうくらいで、そこに込められた秘密に気付かずにはいられないほどパワフルなものなのだ。
 肉や卵が無いから食材が貧しく質素な食事なのか?どちらの料理が本当の意味で贅沢なのか?こちら側の当初の浅はかな考えを根底から覆されてしまう。加えて、そのような私ランキング五つ星の食事を、かつて宿泊していた豊臣秀吉の弟豊臣秀長からそのお礼にとお寺が使用を許された豊臣家紋付の大事なお椀や器でいただく。お寺にとっても大事な器だが、子どもであろうと年齢に関係なく最高の道具と食材で最高のもてなしをすることで、心から人を受け入れるということを学んでもらうためがための、お寺側の配慮だ。
 だからこそ、食膳の準備で一人の子がその器を繰り返し床に落としてしまった時は、本気で大声で叱られたそうだ。一度目はまだ何も言わずに我慢されたが、二回三回と同じことが繰り返し起こるのは本人の注意が散漫だからで、大事なものを相手に託すという信頼に気付いてもらうために本気で叱ったそうだ。叱りは相手を叩きのめす為の憎しみの行為ではなく、ボンヤリした意識の状態から本人を目覚めさせて、次にはそのことに意識を持っていける様に相手が成長してもらうための愛情の行為だ。今の大人で、昔のように他人の子を叱れる人はどのくらいいるのだろうか?そして、これらの総ての大人側の配慮を子どもたちが本当の意味で気付くのは、多分もう少し歳を取ってからのことだろう。だが、何時かどこかでこのことを思い出し、気付き、考える日が来ると思う。教育は、何が何でも無理やり今子どもたちにそのことを力ずくで理解させることとは違う。それらの種を撒き、いつか時が来た時に自然に発芽することを信じて待ちつつ、発芽の為の沢山の情報発信を諦めずに繰り返し続けることが大事なのだと思う。

 さて、2日目は東大寺に行き、いつも案内をして下さるIさんと待ち合わせをする。待ち合わせの場所は行基の銅像噴水前だ。行基が奈良の人々に愛され続けている理由をまだ覚えているだろうか?
 6年生は戒壇堂では当時の大工たちの残した天井や壁の手形足形に興味を持ち、正倉院では昔からの代々の宝物に思いを馳せ、大仏殿ではそのとてつもない大きさに目を丸くして柱の鼻の穴をくぐり、法華堂では居並ぶ仏像たちのポーズを真似て自分のお気に入りの仏像をひとつ探し、ミュージアムでは数々の秘密の品を見て驚くが、どちらかというと一番関心を惹かれていたのは辺りを徘徊している鹿たちだ。休憩時間になると我先にと鹿せんべいを買いに行き、そして鹿に食べさせる時の嬉しそうな顔。中にはたくさんの鹿にあげたいからと、一枚だけせんべいをあげて、残りをポケットにしまって他の鹿のところへ行こうとする生徒あり。だが、ポケットの中の匂いはごまかせない。立ち去ろうとしても、しつこい客引きみたいに6年生から離れようとしない鹿。別の子は手持ちのせんべいが尽き、もっとくれと強くねだる鹿に次第に負け、追いかけられ始め、既に表情が変わり、若干の戸惑いと恐怖が顔に浮かんでいる。そこへIさんが、鹿に見せる「もう無いよ」のポーズを教えて下さり、子どもたちがそれをすると、あら不思議!あれだけおねだりしていた鹿が、くるりと踵を返して去っていくではないか。
 二月堂で食事をしているときだったか、Iさんが言っていた。東大寺は華厳宗なのだが、その教えをわかりやすく言うと、「宇宙という法の中で生命をいただき生きている私たち一人ひとりが、泥の中に咲く美しい蓮のようにきれいな花となって自分という花をきちんと咲かせなさい」というものだ、と。難しい内容を簡単な言葉に置き換えて、このようにさりげなく言われた言葉が美しい絵となって頭に残る。6年生にとっても宝物の一つになってくれればと思う。
 その夜、Iさんは我々の宿泊先のお寺に足を延ばされ、フランス・シターという珍しい楽器を演奏して下さった。ハープのような、ライアのような、美しく優しい音を奏でる楽器だ。これも、毎年6年生が聞かせていただく恒例行事だ。演奏会の場所は納骨堂。密閉された納骨堂は繊細な音がとても美しく、6年生は不思議と怖がらずに聞き入り、その晩は子どもたちの寝入りも良い。

3日目はサイクリングで飛鳥のあちこちを回る。高松塚古墳、甘樫丘、飛鳥寺、板葺の宮、石舞台、橘寺、亀石、天武天皇・持統天皇稜、等。サイクリング中にゆっくり流れる緑の景色。青空が美しく、のんびりした白い雲。ペダルを漕ぎながら古の時にタイム・スリップしていくような感覚は自分だけだろうか?途中、後尾の一生徒と教師が大きく離れたまま違う道を行って行方不明になったり、1台の自転車がパンクしたり、2グループに分かれた1グループが道に迷って田んぼ道に紛れ込み、畦道で自転車を押して草中の段差を乗り越えたり。
 いざ、その日の出発時に、一人の子が近郊を回るために渡されていたフリー切符が見当たらなくて、そのグループはバス時刻ギリギリの出発となった。結局、切符はその日宿に帰ると布団の下から見つかった。旅行中のエピソードは数々あるが、一つひとつをあげていたらページが足りない。
その日の夜は、これまで練習し暗記した般若心経を住職さんと一緒に唱える。皆、神妙な顔で一緒に唱え、その後は写経。般若心経を写経するのにだいたい1時間くらいかかる。その間、皆黙々と作業に没頭する。漫画イラストの挿絵があるわけでもない、平仮名やカタカナでもなく大人でも読めもしない難しい漢字が延々と並んでいるだけの経文に対し、今どきの子どもがよくこれだけ集中できるな、と感心すらしてしまう。アメリカ人の児童すら、漢字を粛々と描き続けている。そして、皆、完成するとまるで宝物を手にしたように、嬉しそうな顔を見せて大事に家に持ち帰る。

 この他にも様々なエピソードが続出したが、長くなるのでこの辺に留めておこう。とにかく、クラスとして初めてのお泊り旅行は、児童たちはもちろん、教師にとっても沢山の出会いとハプニングに満ちたハラハラ、ドキドキだったことは間違いない。

 
6年生担任 木村義人


旅行前。教室の中にテープで平城京を再現する


教室内に平城京を作成中


法隆寺前で記念撮影


奈良の大仏。その大きさには流石にびっくり


東大寺の鐘。最初、鐘を打つと三日三晚鳴り響いた為、打ち鳴らすポイントを若干ずらしたという。


奈良公園で鹿と遊ぶ。


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