卒業生インタビュー ◎ 斎藤工さん(2期生)

俳優として一番大切なことは、シュタイナー教育によって培われた

 斎藤工

すべての授業は色彩に満ちていた

———斎藤さんは、東京シュタイナーシューレ2期生で、6年生まで在籍していましたよね。

斎藤 はい。当時は幼児クラスがあったから、幼少の頃からシュタイナー教育に接していました。6年生の3学期に公立の小学校に転校したのは、サッカーの強い地元の公立中学に進学したいと考えたからです。

———入学した頃のことを覚えていますか?

斎藤 記憶は曖昧ですが、全校生徒は5〜6人で、授業を僕1人で受けていた記憶もあります。姉と2人で電車に乗って高田馬場に通っていましたが、通勤ラッシュにもまれて乗り過ごしたり、降りる駅を間違えたり、電車で通うという通学時のインパクトも強かったですね。

———どんな授業が印象的でしたか?

斎藤 オイリュトミーなどはよく覚えています。衣装は自分で作りました。各自の色を選べるのだけど、僕は緑だったかな? それからは、何を描くにしても自分の色が決まっていたので、いつの間にか「緑=自分」というイメージができあがったように思います。
どんな授業でも、色の印象が強かったですね。色で文章の主語と述語を分けたり、教室の壁の色も塗り分けられていました。当時の色彩からの影響について、大人になってからいろいろ気づかされることがあります。

———演劇の授業は覚えていますか?

斎藤 「ういろう売り」や「ヤマタノオロチ」などをやりました。月例祭で演じるのだけれど、これが嫌で嫌で…。人前で何かやるのが苦手なんです。俳優をやっていながら変な話ですが、これは今も変わっていません。人前で演じることよりも、劇を作り上げていくプロセスの方に、圧倒的な魅力を感じていました。

———校外での体験授業はどうでしたか?

斎藤 米作りをした1年間は、すごく印象に残っています。苗を育てて田植えをして稲刈り。そして、収穫後にはバザーで人に売る。お米を作って人に届けるという一連の流れが、感覚的に体に残っています。

転校時に感じた異分子への目線が怖かった

———小学生の頃は「シュタイナー教育」を意識していましたか?

斎藤 その頃はシュタイナー教育しか知らなかったので、他の学校と比べることもありませんでした。ただ、シューレをとりまくシュタイナー的な環境と、下校時の駅までの風景のような一般的な環境は全く違った世界だったので、そのギャップが面白いなあと思っていました。僕が「シュタイナー教育」を意識し始めたのは、転校してからでしょうね

———小学校卒業直前の転校には、どんな苦労がありましたか?

斎藤 勉強方法は全然違ったし、点数をつけられてランキングで評価されることも今までなかったこと。単純にクラスの人数が多いということだけでも大きな変化でした。シュタイナー学校の時代は少人数で全員とのコミュニケーションが密だったし、それぞれの家庭との関係も深く、全員が家族みたいだった。それが、一定の距離を置いた付き合いが普通になるわけです。

———転校時は、人間関係が大変だったのでは?

斎藤 それが一番大変でした。転校したクラスで担任の先生が僕を紹介した時、最初のクラス全員の目線が怖かった。年齢的に多感な時期だったし、それまでクラスにできていた連帯感の中に、僕という異分子が加わることへの反感のような空気がありました。シュタイナー教育の中で経験していた人間関係の距離感とは全く違う世界に足を踏み入れた瞬間です。

———新しいクラスにはなかなか馴染めなかった?

斎藤 その時の僕を救ったのは、最初に話しかけてくれたクラスメイトでした。彼とはいまだに親友なんですよ。

シュタイナー的な友人に心の鍵を開けてもらった

———どんなお友達だったのですか?

斎藤 彼は日本と南米で育ったのだけど、とてもシュタイナー的な人だと感じました。誰に対しても分け隔てなくコミュニケーションがとれて、いじめっ子ともいじめられっ子とも仲良くなれるタイプ。シュタイナー教育を受けているわけではないけれど、その人全体から感じる空気感がすごく懐かしかったりして、シュタイナー的なものを感じました。

———「シュタイナー的なもの」とは?

斎藤 ボーダーレス(境界がない)で開いている感じ。表面的な外見を取り繕うよりも、自分が持っている内面をいつも開放している人。心に鍵がかかってないっていうか。
僕自身は、シューレから外に出た時に閉じていたと思う。まだ慣れていない世界で開いているのは危険な感じがしました。それでも、最初に話しかけてくれたクラスメイトのように閉じていない人に会うと、「スミマセンでした」と焦って鍵を開ける感じがあります。自分の鍵を開けるように促してくれる人が、シュタイナー的な人なのかな?

——— 斎藤さんのシュタイナー的な部分を目覚めさせてくれる人ですね。

斎藤 とても不思議なことなのですが、見ず知らずの人から突然「君はシュタイナーの子ですか?」と話しかけられたことが何度かありました。職場でも、僕の素性を知らない人が突然シュタイナーの話を始めたりとか、そんな感じの同業者やアーティストが結構います。

映画の世界に魅せられて俳優の道を歩む

——— 俳優を志したのはいつ頃からですか?

斎藤 最初は映画を作ってみたいと思っていて、中学生の頃からシナリオを書いたりしていました。

——— お父さまが映画の仕事をしていた影響もあるのですか?

斎藤 はい。父親の仕事場にもよく行っていました。映画作品のクレジットで父親の名前を見た時は、すごく輝かしく思えて、憧れたものです。

——— 映画の世界に魅せられたことが、俳優になるきっかけとなったのですね。

斎藤 最初は、どうしたら映画制作チームの一員になれるかを考えていましたが、出演者として関わるのもありかなと思ってこの道を探し始めました。

表面的な要素よりも内面から漂うものが大事

——— この仕事を始めてどれくらいですか?

斎藤 もう15年になりますが、俳優業で本当に食べていけるようになったのは最近のことです。世に名前が出るようになるまでの潜伏期間が長かったけど、この期間が自分にとってはとても重要でした。

——— 下積み時代に学んだことは?

斎藤 俳優は映画やテレビ出演など人前で演じる仕事だから、表面的な部分が注目されやすい職業。でも、実は内面から漂うものこそが大事なんです。その人の内面が持っている、ごまかしが利かない部分がつい出てしまう。そのにおいを嗅ぎつけてくれるクリエイターたちに僕は何度も救われてきました。今の自分があるのは、そんな人たちのおかげだと思います。

今の自分の根源はシュタイナー教育に培われた

——— 「内面から漂うもの」を培ってきた要素に、シュタイナー教育も含まれるのでしょうか?

斎藤 それは僕の人生における様々な経験の積み重ねによるもの。でも、シュタイナー教育によって培われてきたものこそが、その根源にあります。シュタイナー教育というベースがあるから、今の自分は、すごく柔軟に冷静に俳優という職業を楽しめているんだと思います。

卒業後の人生の基礎をシュタイナー教育で積み上げてほしい

——— 4年前に、藤野のシュタイナー学園を訪問してくれましたよね。その時はどんなことを感じましたか?

斎藤 あの時は、大勢の後輩たちが学んでいる様子を見て、「自分はこんなに芸術的な授業を受けていたんだ」と再認識しましたね。東京シュタイナーシューレが立ち上がって間もない頃に在籍していた人間としては、あんなに少人数だった集まりが、NPO法人となり学校法人にまで成長した姿を非常に誇らしく思っています。

——— 最後に、後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

斎藤 シュタイナー教育によって身につくことは、卒業後の人生においてずっと必要な自分の生き方や理念、世界観を培うための基礎となります。シュタイナー教育をベースとして、自分の本音というか、自分にしかない自分が強く組み込まれると、どんな道に向かっても未来を彩り豊かに歩んでいけるのではないかと思います。


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