2025.10.29
藤野と東京のあいだで考える仕事と健康
学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.221 2025.10.29
私は、25、6歳の頃に働いていた都内の撮影スタジオで、第一人者のカメラマンの方がスタッフに向けてシュタイナー教育について話していたのを耳にして、初めてその単語を知りました。
当時はまだ独身で、教育に関心もなくて、よく調べるでもなくそのままにしておいたのですが、長女が年長の夏、家のベランダから見える空をぼんやりと眺めていると、脳内で発酵されたその単語が突然、現実味を帯びて浮かんできました。調べてみると、その年最後の入学説明会が、その週の土曜日だという事がわかり…。
あの瞬間から一気に流れの速さが変わった気がします。私たち家族は、とにかく溺れないように泳いでいただけで、自分たちの意思なんて半分もなかったような気がします。でもより良い方向を意識して流されていた記憶がぼんやりとあります。
入学前の保護者の集いや家探しで、藤野に頻繁に通うようになって、自分のマインドや仕事、子どもとの接し方など、とにかく全てが変わっていきました。空気が良いってシンプルにすごい、登れる山がたくさんあるってすごい。
私は写真を撮る仕事をしていますが、気がつけば、藤野に引っ越して半年ぐらいのタイミングで、同じクラスの保護者仲間から物件をお借りし、藤野で週末に写真館をやらせてもらったり、平日は妻がマッサージとエステのあいだをテーマにしたお店をやったりして、不思議な縁と流れがたくさん起こっています。
考えてみると皆そうで、「先のことなんて何もわからないから、今日を一生懸命生きよう」みたいな事なのですかね。ただそれだけのことのような気もしてきました。
仕事に関しては、藤野に住むことで、東京的なるものとの距離が自分にとってちょうどいい塩梅(過多な情報を浴びるほど近くなく、新鮮な感性の栄養になるくらいに遠い)になったと思います。そして写真館という、目の前の家族が喜んでくれる、普段とは少し違う仕事の形が普段の仕事に良い影響を与えていると思え、このあたりは移住して東京を俯瞰して見てみないとわからない感覚でした。
都内でも、藤野にいる時みたいにやわらかい気持ちで漂って、藤野では、都内で得たニュアンスみたいなものを大事にしていると、なぜか結果的にふたつを分けずに同じようにフラットな目で見られるようになってきた感触があります。都市のビル群の肌感や、大好きなあの橋から見える海も、藤野に咲いている植物や赤すぎる夕焼けも、等しく美しかったり。
そんな美しいものたちを見ていると、仕事の前にまず生活があるというような内容の話を思い出すのだけれど、私も日々のご飯が美味しい、というのがまずあるべきだなあと思います。そもそも子どもたちに願うことは、肉体的にも精神的にも健康でいてくれる事です。それは親である私もそうでありたいと思っています。少なくとも今の自分にとっては。こちらに越してきて出会った人々や思想などのおかげで、改めてそのことを一番大切に思えるようになりました。
今では日常になりつつありますが、例えばこの時期、夜中に聞こえる銀河のような鈴虫の音に耳を澄ましていると、まだ知らない感情がやってきて、「これを味わうために今ここで暮らしているのかもしれない」と勝手に納得したりして、毎日を過ごしています。
文/保護者 山本恭平 / 編集 事務局