学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2019.09.18

音楽室から

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.68  2019.09.18

淡いリラ色にしつらえた音楽室には、鉄、銅、木、石といった素材の楽器が並んでいます。すぐに楽器と分かる姿のものもありますが、木片や拾ってきた石等の品も、音楽室の大切な楽器の数々です。

教会やお寺に入ると、誰もが静けさを味わいますが、音楽室もそんな空間でありたい、という願いがあります。授業前の音楽室で、静けさにひとり耳を澄まします。それが、子どもたちを授業に迎え入れるための準備です。

低学年も高学年も行なう課題のひとつに、“シルク”があります。

大きなシルクの片方の端を教師が持ち、もう片方の端を持つ役を子どもの一人に担ってもらい、「あなたの役割は、私のする通りに動くこと」と伝えます。すると、教師の呼吸もささやかな動きも、全てを吸い込むように、一心に見て取ってシルクを動かそうとします。シルクの動きの音なき音を、静けさの中の何かを、全員が聴いているのが伝わってきます。空間がしんとして、場の質が変わります。

全てを模倣しようと無心に尽くす子どもの姿に、私はいつも胸打たれます。「真に聴く」という行為は、こういうことではないかと思うのです。自分を明け渡し、相手の中に丸ごとの自分を投げ入れた時に初めて起こる、特別な奇跡なのではないかと思うのです。

「アウディオペーデ」という言葉は「聴く器官の養成」ということを意味しますが、これが、学園の音楽の学びの土台です。この「聴く」力への取り組みが、こうして、子どもたちの中にかけがえのない宝石を育んでいるのを見る度に、学園の音楽をこの方向に導いてくれた先人方に感謝せずにいられません。

「聴く」とは何であるのか、私もまだ学びの旅の途中ですが、少なくとも、静寂が持つ満ち足りたような質を、クラスの輪で味わえた瞬間、確かに「本当のもの」に触れたという確信と喜びを感じるのです。共に輪をつくる子どもたちも、これが大事な瞬間なのだということを感じ取っているのだと思います。私の仕事は、この体験をひとつでも多く、子どもたちとともに重ねることに尽きるのではないか。そう思います。

ところで、先に触れた音楽室の楽器は、どのように使われるのでしょう。学年によってテーマは異なりますが、子どもたちはそれらを用いて、多くの即興の音楽を体験します。

銅と木の響きのかけ合いだったり、鉄とライアー(竪琴の一種)のやりとりだったり、幼いうちの即興演奏は、教師の導きの下で味わいます。しかし学年が上がるに従って、演奏の始まりも終わりも、自分たちの力で見つけるように要求されます。即興とは、確かにその一瞬の自由な判断で創っていく演奏ですが、ただ好き勝手に音を出すのは音楽ではありません。この瞬間自分の音が必要なのか否か、いかなる強さで必要なのか、相応しい間合いの長さはどうなのか。今この時の自分の判断に、その演奏がどう創られるかが掛かっているという自覚を要します。演奏全体を自分のものとして聴いていなければ、できない判断です。

いつか子どもたちが社会人になったとき、この体験を思い出すことがあるでしょうか。社会という“演奏”は、そこに居る一人一人全員が創っているのだという感覚が呼び起こされるか。社会という場がその時に必要とする力を、聴き取り、機を逃さず行動し得るか。

既に大人の私たちにも難しいことですが、それがかなうなら、社会運動として生まれたシュタイナー教育の意味を、ひとつ為せたと言えるのではないでしょうか。

教員/ライター 石代 雅日