学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2021.03.01

教育

学園通信 2021年3月発行号 

学園通信(2021年3月発行号)ができました。 (PDF版はこちら p.1&8   p.2-3  p.4-5  p.6-7)

<主な内容>
・特集:12年間の集大成 卒業プロジェクト 対談 木村義人×浦上裕子 聞き手 白田拓子
・ONE DAY シュタイナー学園初等部 2年生のある1日
・FUJINO STEINER COLUMN 17期卒業生 和田一歩さん


【特集】対談 12年間の集大成 卒業プロジェクト 

木村義人(23期生1~8年元担任)×浦上裕子(23期生9~12年現クラスアドバイザー) 
聞き手 白田拓子

学びの集大成である「卒業プロジェクト」について、浦上先生(9~12年現クラスアドバイザー)、木村先生(1~8年元担任)にお話を伺いました。

白田 シュタイナー学園の「卒業プロジェクト」とは、具体的にどんなものですか。

木村 自らテーマを決め1年間かけて探求した成果を発表し、レポートにまとめるという12年間の集大成です。そこにはふたつの学びの道すじがあります。ひとつは1年生から積み上げてきた学びのプロセス―自分たちの周りのものごとを知り、世界を知ること。もうひとつは「自分が何者でどのような人間なのか?」、自分自身を知っていくというプロセスがあります。けれど、自分自身を知ったとしても、自分と世界をどのように関連付けていくのかということには別の視点が必要です。それをこの卒業プロジェクトで、自身の興味あるテーマを深く追っていくことによって、ミクロコスモスとマクロコスモスが出会っていくということを彼らは学んでいるのです。世界に自分がどうかかわっていきたいのか、世界に対してどのような視点を持っているのかということに気づいていく。卒業プロジェクトは、自分と世界のふたつのものを繋ぎ合わせるものだと思います。そのふたつのものを繋ぎ合わせるために、これまで学んできたさまざまな武器(日々の授業、絵を描くことや楽器を奏でること、手の仕事、オイリュトミー、ものづくりなど)を使って取り組むなかで、12年間やってきたものがひとつの形としてあらわれてくる。それが卒業プロジェクトといえます。そして、そのなかで輝いているものが彼らの個性ですね。

浦上 卒業プロジェクトで生徒たちは、意志と感情と思考のすべてを使って取り組んでいきます。初めて自分で企業に電話をかけてアポイントを取り、フィールドワークや集めた情報を掘り下げ分析し、それらをまとめ上げ、数百人の前で自分の考えを発表し、発表したことをさらに文字に起こして記録に残るものに仕上げる。17~18歳なので不得手なこともまだまだありますが、クラスアドバイザーは1年間ずっと生徒の葛藤を見てきているので、発展途上であっても、総合的にこんなふうに育ってきているのだと理解しています。1年間かけてコツコツとこれらの難しい課題に取り組むことが、学校を卒業した後に彼らの足元を照らす光になるということを感じます。

白田 生徒たちは自分でテーマを見つけ、それを掘り下げていくなかで、必然的に自分自身と向き合うことになると思いますが、そこがゴールではない。卒業プロジェクトを通して自分と向き合うなかで「未来への種」を見つけ、それが進路に繋がる生徒もいると思いますが、その辺りはいかがでしょうか。

木村 今回の12年生にも自分の好きなことが「気づき」になり、進路になった生徒が何人もいました。先生が与えたものを受け取るだけではなく、自分を見つめるために能動的になる「機会」を与えられるわけですから、そういう意味で卒業プロジェクトの持つ意味は大きいと思います。

白田 素晴らしい発表をすることだけがゴールではなく、失敗することも大切な経験なのかもしれないですね。うまくいかなかったとしても、悔しい思いをしたり、次はもっとこうしようと考えたりするなかで、自分を成長させることができる。それを17~18歳で経験できるのはとても大きなことですね。

木村 常識的な小さく出来上がった完璧な発表を目指すのではなく、その生徒自身が、将来的に何をしていきたいのかが見える発表のほうが、卒業プロジェクトとしては意味があります。自分はこれを試してみて、こういう失敗をしたけれど、ここからこうやって頑張っていくぞと思えるもの。それはその生徒自身の未来の方向性が見える卒業プロジェクトになると思います。

白田 これまでの卒業プロジェクトで印象に残るテーマや、卒業プロジェクトならではの取り組みがあれば教えていただけますか。

浦上 人間の想像力で考えたことは、小さな範囲のことでしかないように思います。入口はその小さな窓でいいのですが、そこから入って掘り下げて、さまざまなことに出会っていくなかで、キラっとした原石のようなものを見出せるといいと思います。そこから花が開くということを、生徒たちを通して垣間見ることが何度もありました。ある生徒は「動物が好きなのでテーマは動物にしたい」と申し出たのですが、あまりにも範囲が広すぎるので、もう少し狭めましょうということになり、やがて「鳥」に絞りました。そして、鳥のどういうところが好きなのかと話していると、最終的には、鳥の羽の構造について興味があるということに行きついたのです。理科系の生徒だったので、「羽」をテーマにして研究をしたところ、とても面白い発表になり、私自身もその発表から多くのことを学びました。その生徒は決して言葉上手に、とうとうと話すようなタイプではありませんでしたが、発表がとても面白いものだったので、卒業プロジェクトを通して自信をつけてくれたのではないかと思います。

木村 毎年面白い卒業プロジェクトがありますが、完成度が高くなくても、その生徒がどれだけそこに没頭して、気づきを得たかが大事です。発表としてはすごく上手でも、インターネットや本で調べたことをまとめているだけのものであると、なかなか人の心に響いていかない。うまくなくてもいいので、ほんとうに自分の興味で何かに取り組んだ結果や、自身がその過程で変化したり、何かに気づいた成果を見せてほしいと思います。

白田 調べたことをまとめるだけだと、パソコンから半径1メートルの世界で完結してしまいますが、学校の外に出て、人に会い、さまざまなものを見たり聞いたり、手足を使ってたくさんの体験をしているほうが、実りある到達点に達しやすいのかもしれないですね。

浦上 手足を使ってテーマを掘り下げている生徒が、いい発表を作りやすいというのは確かですが、今年はコロナの影響で、フィールドワークが思うようにできないという事情がありました。それでも思考の力を使ってよく分析をし、質の高い発表をした生徒もいました。そういう意味では、手足を使った活動が充分にできなくても、ここまでやれるということは、私も改めて知ったことでした。

木村 何かを思考し分析するということにおいても、外から取り入れたものを、一旦自分のなかで消化できているかどうかが大事ですね。自己のなかで消化して、それをもう一度自分のなかから取り出すことができていると、こちらに伝わってくるものがありますね。

浦上 好きなことを卒業プロジェクトで掘り下げ、それが職業に結び付いていった卒業生は沢山いますが、その逆もあります。卒業プロジェクトでやり切って気が済んだので、惜しげもなく別の進路を選ぶ。

白田 自分のなかでひとつ終えて、次に進むということですね。ある生徒で、音楽は自分にとってずっと必要で大切なものだけれども、勉強したいことはまた別にあるので、音楽は趣味として続けて、進路は違う道を選ぶというのもありましたね。

浦上 そうですね。ヨーロッパのシュタイナー学校の卒業生などには、銀行の頭取になっても、自分でセーターを編んだり、ヴァイオリンを弾いたりされる方がいらっしゃると聞きますが、そういう豊かさがここの生徒たちにはあると思いますね。

白田 1年生のときは教室に入れず泣いて先生の膝の上に座っていたような生徒たちも、この卒業プロジェクトで成長した姿を見せてくれると、親心にも似たような気持ちがありますよね。

木村 発表を見ていて、人間は美しいなと思いました。変わっていく成長の姿。そして、まだまだ伸びしろがたっぷりとある、生徒たちの可能性を感じます。

浦上 卒業プロジェクトの発表を終えて、生徒たちと振り返りをしました。発表がうまくいった生徒、思うようにいかなかった生徒、それぞれに素晴らしい気づきがありました。

木村 学園の子どもたちは、小さなころから人前で発表することも多く、受け身でなく、自分たちでいろいろなことを積み上げてきているので、そのなかでしっかりと「自信」をつけてきている。「通過儀礼」や「元服」といった言葉がありますが、そういった意味では、卒業プロジェクトは学園最後の「通過儀礼」として位置づけられるのかもしれません。最後の卒業プロジェクトを乗り越えた生徒たちは、通過儀礼を乗り越えたときと同じような自信をそこで手にしていると思います。特にそういった機会がなくなってきている今、学校教育の場で、生徒たちにそのような経験をたくさんさせてあげたいと思っています。

<23期生 卒業プロジェクトテーマ>

●幸せを結ぶドレス
●働く・働ける・働きたい
●有機農業
●人間らしい生活
●さまよう幽霊~自分ではない誰かになるとは~
●昆虫食のむかしといまとこれから
●推しごと
●音楽の力~音楽と植物と人間~
●楽曲制作~ミュージック イズ マイライフ~
●心に響く声
●あそぼう!子どもたち~「遊び」の理想と大切さ~
●日本人的言動について考えてみた!?
●怖くないよ!繋がりたい!『統合失調症』
●笑い
●やっぱり牛が好き
●未来をつなぐドッグトレーニング
●蹴っ飛ばす
●映画音響の力
●“100”
●自分と人を愛する方法~発達障害を通して~
●パピーミル~犬が飼い主を見つけるまで~
●ふぐの美味しさについて
●『未完組曲』
●十二年劇を通して
●Sole
●重さ~馬を撮る~
●海面上昇
●I am a cat(〇〇は猫である)
●ゴミ~クロアシアホウドリの海洋ごみ問題~
●言葉の芸術
●目を描く
●ミニチュアの魅力

 

木村 義人(Yoshihito Kimura)
アメリカのルドルフ・シュタイナー・カレッジで教員養成を修了後、3つのシュタイナー学校で6年間教員として携わる。帰国後1~8年までのクラス担任を2度務め、現在はシュタイナー学園美術専科教員と理事、中等部校長を務める。

浦上 裕子(Yuko Urakami)
シュタイナー学園英語専科教員、12年生クラスアドバイザー、高等部校長。2006年よりNPO法人藤野シュタイナー高等学園及びシュタイナー学園高等部で英語担当。15、18、22期生の保護者でもある。

白田 拓子(Hiroko Shirata)
大学でシュタイナー教育と出会い、国内のシュタイナー教育教員養成講座で学び始める。土曜クラス担任を経て、現在はシュタイナー学園で故不二陽子先生の志を継ぎ国語を教える。


ONE DAY シュタイナー学園初等部 2年生のある1日

8:10~ 登校 
お家の人と木々の間を抜け歩いて投稿。学校に着いたときには体もポカポカ。教室ではいつものように担任の先生が待っていて、やさしく握手でご挨拶。

8:30  エポック授業
みんなで朝の詩を唱えて、1日が始まります。今日のエポック授業は算数。先生と一緒に体を動かしながら九九を暗唱したら、今度はクレヨンを使ってノートに描きます。色とりどりのクレヨンで描いていくと、美しさに心が動きます。エポックの締めくくりは先生の素話。毎日ワクワクしながら一心に耳を傾けます。

10:15  中休み
長いエポック授業の後は、ほっと一息、おやつの時間。それから校庭でみんなと鬼ごっこして駆けまわります。

10:30  専科授業
座って集中した授業の後、今日の第1・2専科はオイリュトミー(※)。シューズと色とりどりのドレスに着替えると、気持ちが切り替わります。指導は専科の先生。音楽や言葉に合わせてみんなで動きました。
※シュタイナー学校での芸術教科で、言葉や音楽を身体を通して表現する運動芸術。

12:15  昼休み
お楽しみのお弁当の時間。みんなで輪になってお弁当を広げます。お弁当が済んだら、みんなで手分けして掃除を開始。

13:00  専科授業
今日の午後の専科は英語。歌ったり、手遊びをしたりして、外国の言葉や文化を学びます。今週は英語の先生の人形劇。

14:00  下校
帰りも先生と握手をしてから下校します。放課後はお家でゆっくりと過ごします。

※ご紹介したのは一例ですので、内容は変わることもあります。


FUJINO STEINER COLUMN 

第17期生 和田一歩さん

和田一歩さんは、現在近畿大学農学部の環境管理学科で環境保全について学び、魚の研究をしています。幼いころから生き物、特に魚が大好きだったという和田さん。のびのび遊び、のびのび学び、自分の「好きなもの」と向き合い続けた学園生活についてお話を伺いました。

 

シュタイナー学園に入って印象に残っていることはありますか?

入学当時はまだ三鷹にあったNPO法人の東京シュタイナーシューレ(※シュタイナー学園の前身)でしたが、とにかくずっと楽しかったな、という記憶です。シュタイナー学校は低学年の教室の壁はぬくもりのある色で塗られているのですが、本当にあたたかな場所で守られている、という感覚がありました。あらゆる場面で「物語」を通して学ぶので、授業自体もとても面白かったです。担任の先生がお話をしてくれる時間があって、それを楽しみにしていました。カーテンを閉めてろうそくをつけて、かなり長い物語を素話で話してくれるんですが想像を巡らせながら、みんな静かに聞いていました。

特に面白かった授業はありますか?

音楽の授業のことはよく覚えています。低学年の頃は音符も習わず、響きを聞いたり響きを届けたり、といった授業を受けました。鉄や銅で出来た小さな楽器を鳴らして、その音が響いている間に静かに歩いていってクラスメイトにその楽器を手渡すんです。自分が鳴らした音を相手に届ける。雑に鳴らしたり、適当にやったら届いた感じがしないから、集中して音を鳴らして届ける。人にものを伝えることの大事さを感覚的に学んだような気がします。子どものときには気づいていなかったけど、シュタイナー学校の学びは、生きていく上で大事なことを身体や感覚を通して自然に感じることができる、そんな内容がとても多かったんだと思います。

藤野には何年生で移られたのですか?

3年生の時にシューレが学校法人となり、藤野に校舎も移りました。学園に通うため八王子に引っ越し、電車通学していました。家の近くに浅い川があって、学校から帰ると川に行っていました。生き物が好きで、特に魚を捕まえるのが大好きだったんです。捕まえた魚は自分で料理して食べていましたね。学校での時間も学校外の時間もずっと楽しんでいたのですが、4年生くらいから身体を動かしても動かしてもエネルギーが溢れて、かなりやんちゃなこともするようになりました。クラスの男子と女子の割合は半々くらいだったのですが、男子がみんなやんちゃになって、高い木のてっぺんまで登ったり、急な斜面のある壁を勢いつけてよじ登ったり、雪が降った日に雪合戦がエスカレートしてガラスを割ってしまったり。危ないからそれはやめなさい、と言われても次々やりたいことのアイデアが浮かんで、それをやって、また注意されて…と繰り返していました。今思えば自分たちで描いたことをとにかく実体験してみたかったのかもしれません。先生がたにはご迷惑をたくさんかけました(笑)。どこかで先生や保護者が思い描いている姿に収まりたくない、超えていきたい、という成長期の思いがやんちゃにつながっていたのかもしれません。

やんちゃはいつ頃落ち着いたのですか?

7~8年生ごろにはだいぶ落ち着いていた気がします。1年生から8年生まで担任の先生が代わらないので、先生はお父さんお母さんのような存在なんです。親ではないけど親くらい近くて大きな存在で、初等部の高学年5~6年のころはクラスでそれこそ反抗したりもあったのですが、8年生になると「先生と最後なんだな」っていうのが大きすぎて。夏休みが終わったころから「8年生劇」の練習が始まり、役者も美術も音楽も全部生徒で行う集大成だと捉えていたので、先生にありがとうございました、という気持ちで取り組みました。『銀河鉄道の夜』という演目で、僕は大道具と家庭教師の役をやりました。2月の公演が終わった時の気持ちは今でも覚えています。「終わっちまったな」という気持ちと、何かを越えたような、心地よい静かな気持ちがありました。

授業以外ではどのような高校生活を送っていたのですか?

9年生くらいからギターを弾き始めて、バンドを組んでいました。放課後、教室を一室貸してもらって練習したり学園祭で演奏したり、音楽活動を楽しんでいましたね。シュタイナー学校は一人ひとりの個性に向き合って、伸ばしてくれる学校なので、ある意味とても強い個を持った人たちがクラスに集まっていて、でも不思議とまとまっていました。ふつう趣味や好きな物事が近かったり、自分と共通性がある人と親しくなりやすいと思うのですが、この学校に一緒に通っていなかったら友達になっていたかな? と思うくらい自分とは違うタイプの人とも信頼関係を築くことができました。当時のクラスメイトたちとは今でも年に1~2回は集まっている兄弟のような関係です。あとは、放課後は相変わらず、ひとりで川にも行っていました。

12年生で行われる「卒業プロジェクト」ではずっと好きだった魚についての研究発表を行ったと聞きました。

卒業プロジェクトはここで学んだ12年間を表現する場所、それを終えてこそ次のステージに向かえるもの、とずっと捉えていました。身につけてきたことや興味を持っていることを形にするだけでなく、12年間育んだ「人となり」を一番表現できる場所だとも思っていたので、ずっと好きだった魚しかないな、とテーマを決めました。卒業プロジェクトは一人ひとりメンターの先生がつき、面談を重ねながら準備していきます。どの先生がついてくれるかわからないのですが、僕は音楽の古賀先生という大好きな先生が担当してくれました。自分では考えていなかった部分を掘り起こしてもらい、そこから「人と自然とは切っても切り離せない」というテーマに繋がっていきました。卒業プロジェクトは踊ったり、絵を描いたり「表現」をする人も多いなか、僕はデータや分析といった部分が多くを占める研究発表でした。先生とのやりとりのなかで、今まで感じてきたことや考えてきたことをまず引き出してもらって、結果、僕自身の人間性の裏付けがある研究発表になったのではないかと思います。幼いころから川や山、自然と毎日関わりあい、そこにいた生き物に興味を持ち、それが魚を好きになったきっかけです。人は快適な暮らしを求め続け自然環境は失われていっていますが、卒業プロジェクトの研究のため、小さな子どもたちと保護者のかたも一緒に川遊びをし、感じたことを聞き取ったりもしていくなかで、自然と触れ合う機会が増えれば人の環境への意識は変化するのではないかとも考えるようになりました。

卒業後も魚の研究をされているんですよね?

近畿大学農学部環境管理学科で、主に環境保全にまつわるような勉強をしています。今は数種類のドジョウの進化の現象についての研究を始めたところです。卒業後も魚に関わりたいと思っています。でも例えば環境コンサルタントの仕事に就いたとして、ある水辺の環境を調べ「貴重な生物がいるから建築はやめたほうがいい」と伝えてもそこに建物が建ってしまったり…自分の思いを押し込めてしなくてはいけない仕事の在り方には疑問も感じます。僕は琵琶湖が好きなのですが、そこで知り合った漁師さんは野菜を作ったりしながら魚を獲っていて、とても魅力的です。もちろんお金はあったほうがいいと思うのですが、自然のなかで関係性を持ちながら暮らしていく、人間本来の姿に惹かれます。なので自分の感覚を大事に、流されないように進んでいきたいと思います。

最後にシュタイナー教育で得たものはなんだと思いますか?

自分と向き合う力だと思います。周りがどうこうじゃなく、自分に一番響くものが何かを解っていたら、ブレない自分でいられると思います。自分のことが解っていれば、今もこの先も、必要なものと必要なことを選んで、生きていくことができること思うのですが、それは常に自分と向き合っていないと解らなくなってしまうのではないかとも思います。そんな自分に向き合う力をシュタイナー教育で育んでもらったと思っています。