学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2021.01.06

教育

シュタイナー学校初中等部(1-8年)の理科の授業 第1回 低学年の理科 〜「縁」を生きる(1)〜

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.97  2021.1.6

太陽の素晴らしい光

それが私の一日を照らします

心の中の精神の力

それが手足に力を与えます

太陽の光の輝きの中で

神さま、私は人間の力を畏れ敬います

それは、あなたがわたしのために

心に植えてくださいました

私がよく働き、よく学べるようにと

あなたから光と力がやってきます

愛と感謝があなたに流れていきますように

この詞は、シュタイナー学園の1年生から4年生が毎朝、授業の始めに唱える詞です。自分の外側にある「太陽の光」が自分の周囲を照らし、自分の内側にある「精神の力」が行動するための力を与えてくれる。それは「よく働き、よく学べる」ように、「神さま」が人間に与えたものであるということがこの言葉に書かれています。子どもたちは、保育園・幼稚園を卒園する時が近づくと、その小さな胸に、新しい生活=「学びの生活」への意欲を芽生えさせます。新たな光をまとい始める時期です。この詞は、学びへと向かう子どもたちを、内側から支えるための言葉なのです。ちなみに、ここでいう「神さま」とは、キリストなど特定の宗教の神を指すのではなく、人智を超えた大いなるもの、畏れ敬うもの全般を指しています。

入学したばかりの子どもは、周囲の環境から、多くの影響を受けて生活しています。周囲に起こる出来事を子どもたちは「物語」として受け取る力があります。幼児期の子どもの世界をシュタイナー教育では「メルヘンの世界」と呼んだりもします。綺麗な色の落ち葉や変わった形のどんぐりを見つけただけで、子どもたちはその世界に入り込み、想像をふくらませたり、新たな遊びを生み出したりします。

子どもは教師のしぐさ一つひとつを「模倣」します。教師は、子どものメルヘンの力を使って子どもに寄り添いながら、子どもを「メルヘンの世界」から少しずつ「学びの世界」へと導いていきます。担任の先生との「出会い・つながり」が全ての学びの土台となっていきます。まだ教科は明確に分かれてはいません。算数の学びの中に理科や国語の要素があったり、国語の学びの中に社会科や理科の要素があったりと、全ての学びの教科がつながっています。

生まれてから最初の7年で子どもが発揮する「模倣」という力は一体どういう力なのでしょう。みなさんが、「真似をしたい」と思う時はどんな時ですか? 「模倣」するとき、心の中は対象への「共感」で満たされています。それがないと、人はなかなか真似をしようとは思いません。生まれてから最初の7年間、子どもは周囲のもの全てに「共感」を持って接しているのです。この時期の子どもの共感力は、人生の中で最も大きいものです。「共感」というよりは、周囲のものと「一体になる感覚」に近いかもしれません。

「自然と一体になる感覚」は、学びが「生きたもの」になるために、重要な体験であると、教員は考えています。高学年の本格的な学びの時期になると、自然を客観的に観察する場面が訪れます。その観察が「冷たく」なるか、「温かく」なるかは、「自然と一体になる感覚」の有無と大きく関係しているのではないかと思うのです。木登りしたり、魚を手で捕まえたり、落ち葉を積み重ねてその中で寝たり、鳥の鳴き声を聞いて真似したり、花の蜜を味わったり、匂いをかいだりする小さい頃の体験に含まれる豊かさは、人生の学びの全てを含んでいるに違いありません。この体験がどのように「理科」の中で生きていくかは次回以降の連載で具体的に示していければと思っています。学園の理科の教員は、低学年の「自然とつながり、出会い、一体になる体験」を、「自然との『縁』づくり」、と位置づけています。

スマートフォンなどの普及で子どもの遊びの環境や、社会環境は大きく変化しています。それが、子どもたちの「模倣の力」を大きく減らしてしまっていることを、私たちはいろんな場面で見つけることができます。「理科」という教科から見て、幼児期の子どもが持つ「模倣の力」の減少は、大人たちが真剣に考えていかなければならない最重要課題であると、強く言いたいと思います。

幸いなことに、シュタイナー学園の家庭の多くは、子どもを自然の中で育てたいという思いが強く、それによってシュタイナー教育は大きく支えられている、と教員たちは感じながら、授業をすることができています。

第2回は、低学年の学びの中で、子どもたちが自然とどうやって「縁」を結んでいくのか、具体的な実践例を交えて見ていくことにしましょう。

ライター/教員 小柳平太