
2025.08.20
授業はどれも面白く、家に帰ると ぬいぐるみや母を相手に、先生役をしていました
卒業生コラム 22期生 岩下花凜さん(前編)
学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.216 2025.8.20
シュタイナー学園卒業後は大学で国際関係論を学び、その後外資系企業へ就職。現在、社会人2年目。学ぶことが大好きだったという岩下さんに、子ども時代から学園在学中のお話を伺いました。
シュタイナー教育との出会いを教えてください。
もともとは公立の保育園に通っていました。保育園へ行くよりも、家で遊ぶのが大好きな子どもでした。母が学園のことを知り、何度か足を運んだような。その熱意に動かされて藤野まで通うことになりました。「シュタイナー」(当時はスタイナーだと思っていました)という響きがなんとなく格好良く感じられたのを記憶しています。4年生までは電車を3本乗り継いで藤野まで通っていました。母はフルタイムの会社員で、私を送った後通勤していました。当時は働いているお母さんは珍しくて。母には感謝しかありません。
通学が大変だとは感じませんでしたか?
学校の学びが面白く、通学が大変だと感じたことはありませんでした。地元の学童に通ったり、多くの方の助けを借りながらの通学でしたが、とにかく学校が好きでした。授業はどれも面白くて、家に帰るとぬいぐるみや母を相手に、自分は先生役として授業を行っていました。
私は担任の先生のことが大好きで、休んだら受けられない授業があることが悔しく、学校を休みたくなかったんです。授業が楽しいのは高等部へ行った後もずっと続き、実は12年間皆勤賞です。
高学年になると先生や親に反抗したくなる時期かもしれませんが、いかがでしたか。
確かに高学年になると、男女に分かれて喧嘩をしてみたり、先生を困らせるようなことをいろいろしていたと思います。でも、担任だった加藤先生のほうが一枚上手というか、私たちの気持ちをくんでうまく応じてくださっていたと思います。
そんな中でも授業は好きで、特に古文に惹かれました。国語の不二先生や白田先生が選ぶ作品はどれも日本語が美しくて、その世界観に引き込まれていきました。特に物語はよく読みました。古文熱は高等部まで続き、大学の入試で古文科目は困らなかったほどです。
9年生の時に不二先生が急逝され、白田先生が、不二先生がお好きだったという徒然草の一節を読んでくださったのを覚えています。世の中のはかなさを綴ったもので、その一節を聞いて、不二先生の感じていた世界観を垣間見ることができました。
学びを深め、古文という世界を見つけた花凛さん。後編では高等部での経験や大学時代、そして現在までのお話を伺います。
ライター/保護者 松本朋子