学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2017.12.25

教育

教育が拓いていく、未来

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.24  2017.12.25

教育は、未来を拓く道具といえるかもしれません。

幸せであるためのルール

形式美を重んじるこの国においては、手段が目的に取って代わることがしばしばあります。社会規範、倫理観、ルール、法律、教育方針、それらは元々は幸せに生きるための手段に過ぎませんでした。

「幸せであるためのルール」であったわけです。 ですが、時間が経過するにつれて、いつの間にか「ルールを守っていれば幸せ」、もしくは「ルールを守らなければ幸せでない」という方程式にすり替わっていることに気づく人は少ないかもしれません。 幸せというものは勲章ではありません。変化し続ける状況と自らとの関係において、常に再創作しなければ継続しない性質のものです。全ての人類はそれを求めているにもかかわらず、向き合うことは苦手です。

幸せの責任者になるよりも、不幸の原因を何かのせいにする傍観者でいる方が気楽だからです。言うなれば、幸せに蓋をするナマケモノなのかもしれません。

ルールを守ることが幸せ?

昔は、いい大学に行っていい会社に入ることが幸せの勲章でした。その背景には経済成長と終身雇用と年功序列がありました。現代においては、その方程式を信奉している人はあまりいません。経済成長も終身雇用も年功序列も過去の遺物だからです。

しかし、社会通念としてはそれに代わる新たな方程式を打ち出せずにいます。「幸せになるにはどうしたらいいかわからないけれども、負け組は不幸だからいち早く競争に勝てるように早期教育・英才教育を施そう」もしくは「ルールを守っていることで幸せであると信じたい」という発想になります。多くの人は新しい価値観を打ち立てることは苦手です。さらにはそうした教育は受けてこなかったという背景もあります。

私の幸せは私がつくる

今の社会、なぜこれほどに間違いを起こした人の報道に過剰反応する世の中になってしまったのでしょうか。いくら仕事を完璧にこなしていようとも、過ちひとつで息の根をとめてやろうとするような風潮に。「きちんと仕事さえしてくれれば、プライベートは関係ない」という大人の見解、寛容さも失われているような気がします。

日本の様に耐え忍ぶことで幸せに辿り着くのを美談とする世界では、「過ちは赦され再出発出来る」というのは、勝手すぎて、自由さと軽やかさは脅威に映るのかもしれません。加えて、生き方の多様性を許容できなかったり、個別事情の本質を考えることができない社会では本当の意味で幸せな生活は難しいのかもしれません人の数だけ幸せの形はあるものではないでしょうか。

幸せの形は一つではありません。偏差値の高い中学・高校に入って、偏差値の高い大学を目指し勉強をし、大企業に入ったり所得の多い職種に就く。それが当たり前の幸せとされるような価値観の時代もありました。 しかし、価値観は多様化し、会社の寿命は30年とも言われています。勤め始めた会社が定年までに無くなっていることも珍しいことでは無くなりました。生き方の多様性を許容できなかったり、個別事情の本質を考えることができない社会では本当の意味で幸せな生活は難しいのかもしれません。 幸せは外に求めるものでもなく、外の価値観に従うことでもありません。自分で自分の幸せの物差しを決めること。私の幸せは私が作るという意気込みが必要なのかもしれません。

教育における幸せ

教育においても同じではないでしょうか。「いい教育を受けさせれば幸せ」なのか、「幸せであるためのツールとしての教育」なのか、どちらから教育を使うかで子どもの人生は大きく変わっていきます。また、教育に多様性がない限りは社会の多様性は生まれないという観点からも、教育における幸せについて再考する価値があります。

そこでシュタイナー学園に入学させている在校生保護者、特に父親に教育観をきいてみました。

『従来までの学力や働き方はもう古いと感じている。社会的ステータスで安心できた時代から、明日どうなるかもわからない時代に突入しているからこそ、自分で人生の舵とりができる人間になってほしいと願ってシュタイナー教育を選んだ。

入学当初はなかなかクラスに入れない状態が続いて困っていたが、担任の先生が一貫して「この子は必ず本人の意志が育つから大丈夫です」と言って見守り続けてくれた。その言葉に助けられ、信じてきたら、今では見事にその通りになった。家でも一度も〇〇しなさいと言ったことがないのに、勉強でもスポーツでも趣味にしても何でも自分から自発的にやる子に育っている。(父A)』

『子どもの巣立つ20年後の社会から逆算して教育を選んだ。少子高齢化、人口減、超格差社会、グローバル経済の限界、旧来型一流企業の相次ぐ弱体化、人間を超えた人工知能が多くの仕事を代行する世界…。一層不透明な未来において、我が子が幸せに生きられるかどうかは、自らの意志で未来を切り拓いていく力にかかっていると思う。

子どもを特定の型にはめるために訓練するのではなく、人間とはなにかという哲学に基づいて、自らの意志と知性と感情を十分に発達させた調和のとれた人間を育てる=その人らしさが最大限花開くように育てるのが、シュタイナー教育なので、未来的な教育だと思った。(父B)』

『「子どもの成長をとるか、自分の仕事をとるか」という選択肢で言うなら、子どもの未来の方が大切なので迷うことはなかった。

自分の仕事に関しては働ける場所さえあれば何とかなるというくらいにしか考えていなかった。(父C)』

教育をどう使うか

子どもにとって教育をどう使うかの最初の機会は、小学校選びです。偏差値やブランドで教育を選ぶ時代は過ぎましたが、教育とは何かを考えることは未来や人生を考えることにつながるので一筋縄ではいかないと思います。

それでも、幸せな生き方について見つめなおす機会に遅すぎることはありません。全く新しい価値観の教育に出会うことで、これまで自分を形成してきた要素を振り返り、その限界と新たな可能性に気づくきっかけになるかもしれません。私がそうだったように、この教育との出会いが人生を自由にする機会となりますように。

川本潤(広報室)