学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2020.04.07

卒業生

学校生活を通して、自分には選択肢がたくさんある、と自然と思えるようになっていたと思います

卒業生コラム 第16期卒業生 佐山昌さん(前編)

佐山昌さん】
シュタイナー学園16期卒業生の佐山昌さんは、インドネシアの国立大学であるインドネシア大学で学位を取得し、現在オーストラリアのクイーンズランド大学でコミュニケーション学を学んでいます。たくさん悩み、たくさんの経験をして、今の道へと進んだという佐山さんに、前編ではシュタイナー教育との出会いや学園生活についてお聞きしました。

後編はこちら


シュタイナー教育との出会いはなんだったのでしょうか?

兄がシュタイナーシューレ(シュタイナー学園の前身であったNPO法人の学校)に通っていたこともあり、小さい頃から学校を訪れたりしていました。幼稚園は『ちっちゃちっちゃ園』と呼ばれていた、シュタイナーシューレの保護者たちが立ち上げた小さな自主保育のシュタイナー幼稚園に通っていました。そのままシューレに1年生として入学しました。当時クラスの人数は15人くらいでした。兄がしていたことを見ていたり、幼稚園から仲がよかった子も一緒だったりもしたので、シューレでの学びは『これが当たり前』という感覚だったと思います。変化があったのは2年生のときです。父の転勤で福岡に行くことになり、公立の小学校に転校しました。

転校されてカルチャーショックのようなものはありましたか?

180度ちがう、という感じはありました。時間割や教科書を見るのも初めてだったので、最初はなんなのかわからなかった。でもまだ小さかったので、いろいろなことをふつうに受け止めていたつもりです。放課後、当時人気だったテレビにつなぐタイプのゲームを友だちの家で見たり遊んだりしたりするのも新鮮ではあったけれど、もっと身体を動かして遊びたいなという欲求がありました。福岡時代も家にはテレビなどはありませんでしたし、欲しいとも思いませんでした。

そのあと、4年生の時にシュタイナー学園に戻られるのですよね。

父が再び転勤で東京に戻ることになったんです。ちょうど、そのタイミングでシュタイナーシューレが三鷹から藤野に移転し、学校法人になるタイミングでした。八王子に住んで、そこから電車とバスで通学していました。

学園ではどのように過ごしていましたか?

いろいろなものに興味がある子ども時代で、国語や歴史が大好きでした。動物学や栄養学といったひとつの事柄を深く学んでいく、シュタイナー学校独特の授業も楽しかった。でも、ぼくはとてもおしゃべりな子どもで、授業中ずっとしゃべっていたんです。思ったことをすぐに言葉にしてしまって、歯止めが効かなかった(笑)。注意されていたのですが変わらなくて、中学生くらいまでそんな感じでした。先生は大変だったと思います。本も大好きだったので、行き帰りもずっと、歩きながら本を読んでいて、危ないと注意されても、それでもやめませんでした。でも、のびのびと学校生活はずっと楽しんでいました。自分がいる環境に安心や信頼が当たり前にあったからこそ、先生ともなんでも言い合って、自分のやりたいことをしていたと思います。

そのまま高等部に進まれたのですよね。

外部の学校のオープンキャンパスに行ったりもしたのですが、高等部は実習が多くいろいろな分野について学べるし、自分にあっているのはシュタイナー教育かな、と思い高等部に進学しました。実際実習のひとつひとつ、授業のひとつひとつ、すごく楽しかったですよ。中でも特に印象に残っているのは12年生劇です。井上ひさしさんの『闇に咲く花』という演劇をみんなでつくりあげました。それまで人前に立つことに抵抗もないけど特に興味もない、という感じだったのですが、最後くらいなにかやろう、と思って主要な役に立候補したんです。みんなで練習を重ね、準備をし、舞台に立って、すごく満足感があった。12年間の学校生活を通して、印象に残っているのはその感覚ですね。不安を感じるようなことよりも、なにかに向かっていって完成した喜びを何度も味わった。やりたいと思ったことは、その始まりから終わりまで全部自分で決めて挑戦できる。やりきれる。そんな学校生活を通して、自分には選択肢がたくさんある、と自然と思えるようになっていたと思います。

そんな12年間が終わり、卒業を迎えます。

12年生の秋に、自分にとって転機がありました。父がインドネシアに転勤することになったんです。当時、卒業後は大学で興味のあった法律か心理学を学ぼうかなと夏期講習に通ったりもしていました。でも自分の中で必然には感じていなく、乗り切れないなあと思っていたときでした。両親は大学もあるし、当然僕は日本に残ると思っていたのですが、なぜだかインドネシアに自分も行こう!と思ったんです。両親はもちろんやめろといいました。なんのために行くのかと。自分でもなんのために行くのかわからなかったけど、とにかく行きたいと説得して。結局卒業後はインドネシアに行くことになったんです。


さまざまな分野への興味を種のように自分の中にたくさん植えつけた、12年間の学校生活を経て、『直感にしたがった』とインドネシアに向かった佐山さん。後編ではインドネシアでのバックパッカーの旅を経て大学に進学したお話を伺います。

ライター/中村暁野