学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2022.10.19

卒業生

思春期の反抗期を経て、一人ひとり成長し、劇をきっかけにお互いを知り、認めあえた

卒業生コラム 第20期卒業生 戸田樹さん(前編) 

現在ダンサーとして活動しながら、ダンス教室で子どもたちに指導もしている戸田樹さん。活発で元気いっぱいだった幼少期から、オーケストラ、コーラス、バンド、ダンス、とさまざまな活動を通して自己表現に夢中になった高等部まで、シュタイナー学園で過ごした時間を振りかえっていただきました。 


シュタイナー教育との出会いについて教えてください。 

4学年上の姉が当時まだ三鷹にあったシュタイナーシューレに通っていたので、小さなころから「自分もきっと行くんだろうな」、と漠然と思っていました。両親はふたりとも働いていて忙しかったので一般の保育園に通っていました。藤野に移ったばかりのシュタイナー学園の1年生として入学し、三鷹、高尾、そし藤野と引っ越しました。それまでも姉の友人たちと家族ぐるみで交流をしていたので、シュタイナー学園に入ってギャップを感じることはありませんでした。入学したころは活発で、外で走りまわって遊んでいるような子どもでした。 

低学年のころ印象に残っていることはありますか? 

おはなしの時間が大好きで、毎日たのしみにしていました。担任は栄先生という男性の先生だったのですが、おはなしの前にいつもライアーを奏でてくれました。授業では漢字を習うのがとても好きでした。シュタイナー学園では漢字の成り立ちから習います。最初に習ったのは確か「日」だったと思うのですが、大地から太陽が登って…とおはなしを聞き、絵を描いて。新しい漢字を習うたび、ワクワクしました。 

3年生の時の米作りも印象に残っています。田んぼの準備から収穫までおこないました。半年間ほど週に1回田んぼに通い、泥だらけになりながらクラスメイトたちと過ごした時間が楽しかった記憶として残っています。できたお米をおにぎりにして全校に配りお米屋さんをしたりもしました。 

学園の学童もでき、共働きの家庭も増えましたが、当時ご両親が働いている家庭は少なかったと聞いています。大変なこともありましたか? 

当時は保護者主体で、藤野在住の方が指導員の小さな学童があり、放課後そこで過ごした後、両親が迎えに来るまでの時間を預かってくださる方の家に行かせてもらっていました。両親は預け先を探したり、送迎を他の保護者の方にお願いしたり大変なこともあったと思います。でも子どもだったわたしは、両親だけではなく、藤野や学園のたくさんの方にお世話になって、かわいがって育ててもらえたな、と感謝しています。平日忙しい分、夏休みや冬休みといった長期の休みは北海道に登山に行ったりラフティングや乗馬をしたり、家族みんなで自然のなかで過ごす時間を楽しんでいました。 

学校生活では学年が上がるにつれて何か変化はありましたか? 

わたしも含めてみんなが落ち着かない6〜7年生のころ、クラスでもいろいろなことが起こりました。女子の中でグループができたり、誤解やすれちがいが生じたり、相手の立場に立つことができなかったり。わたしは活発でクラスの中心にいるような子どもだったのですが、クラスがふたつにわれてしまった時に、どちらにもつきたくない、どちら側にもつけない、という感じになりました。クラスの中であまり話さない時期が1年くらい続いたと思います。みんな苦しい時期だったと思うのですが、授業自体は毎日何を習えるんだろう、とワクワクするものだったので、学校に行きたくないとは思いませんでした。シュタイナー学園は縦のつながりが強いので、休み時間には他学年クラスに遊びに行くなどして、助けられた時期でした。 

その苦しい時期をどうやって越えていったのでしょうか? 

シュタイナー学園は8年生で一区切りがあり、集大成の8年生劇があります。ふと「このままでいいのかな」と、思ったんです。「このままじゃ自分がなくなっちゃうんじゃないかな、8年生劇もあるのにな」って。それで、「明日からみんなに話しかけてみよう」と思ったんです。みんなもふつうに話してくれて、そこからみんなで8年生劇に向かっていくことができました。クラスみんなが変化し成長できた時間でした。 

8年生劇を通してどのような変化と成長があったのでしょうか? 

ひとつの劇を大道具小道具、音響衣装、全部自分たちで作るなかで、それぞれの得意なこと、やりたいことが見える。セリフひとつ覚えてくるのでも、「あ、やってきたんだな、がんばっているな」と、お互いの良いところを認めあえた。すごく大きな機会でした。 

お互いに理解し認めあうというのは、大人でも難しいことだと思います。それを思春期の子どもたちができたことはすごいことですね。 

思春期の反抗期を経て、一人ひとり成長し、劇をきっかけにお互いを知り、認めあえたのだと思います。大変な時期、先生がずっとクラスの間に入って話し合いをするなど導いてくれたからこそ、わだかまりがとけたのだとも思います。見守ってくださった先生には尊敬しかないです。 


様々な困難を乗り越えて、中等部を卒業した樹さん。後編では表現することに夢中になった高校生活から現在に至るまでのお話を伺います。 

ライター:中村暁野