学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2019.07.24

卒業生

とにかく先生たちのことが大好きでしたね

卒業生コラム 第14期生 丸山リサさん(前編)

丸山リサさん】
シュタイナー学園第10期卒業生の丸山リサさんは、もうすぐ2歳の息子さんを持つお母さんです。母親として子どもと接する日々の中で、子どもの頃からの夢のため、現在珈琲の焙煎について学ばれている丸山さんに、シュタイナー学園での学びや、そこで育まれたものについて伺いました。

後編はこちら


シュタイナー教育との出会いのきっかけは何だったのですか?

シュタイナー教育の本を読んだ母が、わたしをシュタイナー幼稚園に通わせようと思ったことがきっかけです。育児に関する本をいろいろと読む中で、子どものそのままの姿を大事にしているシュタイナー教育に感銘を受けたようです。わたしは当時、関東国際高等学校の中にあった『すみれ幼稚園』というシュタイナー教育を行っている幼稚園に通いだしました。縦割りで15人ほどのクラスが6、7クラスある園でした。毎日とても楽しくて、お休みなんかなければいいのにな~、と思っていたのをおぼえています。幼稚園に通っていた子たちは、当時三鷹にあったシュタイナー学園の前身である東京シュタイナーシューレに通う子も多くいて、わたしもそのままシューレに通うようになりました。一方、4歳上の兄は普通の幼稚園に楽しく通い、馴染みの友達がいたので、公立小学校にずっと通っていました。

学校に通いだし印象に残っていることはありますか?

学校も楽しくて。女の子たちが室内で静かに遊ぶ中、男の子の中で一人やんちゃに外を走り回っているような子どもで、3年生の米作りや4年生の家作りは、ワクワクしながら行っていました。担任の木村先生が大好きで、いつも足にしがみついていました。8年生まで担任が変わらなかったので、長い時間を過ごす中で、クラスの子たちは反抗期に入るような時期でもずっと先生にまとわりついて。わたしの父が先生にやきもちを焼くくらいでした(笑)。授業では音楽が印象に残っています。クーゲルというきれいな音の鳴る銀のボールを転がしたり、木琴を鳴らしながら歩いたり、音を鳴らす体験のようなところから始まるのですが、教えてくださった古賀先生自身がとても楽しそうにしていた姿をよくおぼえています。美術の大嶋先生にも会うたび飛びついてしまうくらい好きでした。とにかく先生たちのことが大好きでしたね。

5年生の時に学園が藤野に移転したのですよね?

藤野に移ってからは、工芸の授業で木の器や銅の器を作ったりもしました。学園で、何かを作る経験をたくさんしたことは、自分の手でものを作りながら生活したいと思うことに自然と繋がった気がしています。今でも自宅の家のカウンターをつくったり、野菜を育てたりと、もの作りはとても身近なことです。

そのまま高等部に進まれたのですよね?

当時はまだ高等部が法人化されていなかったこともあり、人数は少なかったのですが、一人一人との絆がより一層深まりました。みんなで作り上げた卒業演劇、シェイクスピア原作の『十二夜』は今でも記憶に刻まれています。楽しい楽しいと言い続けていましたが、高等部が一番楽しかったんです。『勉強すること』の楽しさに触れたのも、高等部でした。特に亡くなられた不二先生の国語、増渕先生の数学は、学べば学ぶほどに面白かったです。不二先生には12年生で行う卒業プロジェクト(※)も担当していただきました。

卒業プロジェクトでは何をされたのですか?

フランス菓子の歴史についての発表と、レシピを創作することを卒業プロジェクトで行いました。小さい頃からお菓子作りが好きで、カフェを経営したいという夢がありました。お店を開く上で、その物の背景を知るのはとても重要なことで、どのように今に伝えられてきたか知りたいと思いフランス菓子の歴史についての研究と、焼き菓子の中でも一番惹かれていたタルトのレシピを作りました。確かタルトを初めて1人で作ったのは5年生の時、親友のお誕生日に作ったと思うんですが、タルトってほかの焼き菓子に比べ手間がかかる。でも手間がかかった分、友だちが喜んでくれたのが何倍にも嬉しかったという実体験があったんです。

※卒業プロジェクト…シュタイナー学校の12年生が取り組む学びの集大成。一人ひとりが自分で選んだテーマを深く掘り下げ、その成果をプレゼンテーションします。


先生たちの愛情を受け、のびのび育った幼少期を経て、自分のやりたいことを自然と見つけ、向かいだした丸山さん。後編では、学園を卒業し、自分の夢に向かい動き出してからのお話を伺います。

ライター/中村暁野